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どぼん会はある日正式に発足されたものでなく、暇つぶしの小博打がセミレギュラー化したものでした。
事の発端は、都内の英語学校の喫煙ルームで知り合った幾人かが暇をつぶす為に教材用の英語版モノポリーを借りてロビーで遊び始めた事にあります。今から11年前の話です。
当時モノポリーを遊んだ事がある人間はその中の1人だけで、その1人でさえルールを正確には覚えていなかったのですが、通りかかるネイティヴ講師に質問し、理解を深め、自然と遊べるようになるまで時間はかかりませんでした。
しかし、経験者がいないという事で、当分の間交渉らしい交渉は行われずモノポリーはずいぶんと長い事ダイス運のゲームだという評価をされていたように思います。そして(今思えば)最後まで正当な評価を受けることはなかったと言えるでしょう。
それでも不動産の交換や独占阻止の概念が生まれ、実力が拮抗してくるとともにモノポリーは御多分に洩れず私達の博打の道具となっていきました。最後までプレイするには時間がかかりすぎたので誰かが破産した時点で、トップにその日の飲み代(私は下戸ですが)やらクラブのチャージの肩代わりをするという取り決めになっていた様に記憶しています。
生粋のモノポリープレーヤーが見れば思わず目を覆いたくなるようなそれはそれはひどいゲーム内容だったと思いますが、誰もモノポリーを「強くなれる」などと考えてはいませんでした。最終的には賽ころで運命が決まると誰もが信じて疑わなかったのです。

モノポリーは大流行しましたが、逆転の手筋が編み出されなかった為、一旦負けが込み始めたプレーヤーは破産するまでひどく退屈な思いをする事が唯一の問題点でした。
交渉レベルも最後まで目先の利益追求の域を出ることはなく、ひどい場合には「お前の態度が気に入らないからその交渉には乗らない」といったおおよそ内輪でしか通用しないような発言も飛び出す始末です。
私達にはそんなやりとりもまた楽しかったのですが、それでもしばらくすれば繰り返し遊ぶには食傷気味だという表情を誰もが隠さなくなりました。
ロビーには教材としてもうひとつボードタイプのゲームがありました。
一度だけそれを借り、遊んでみようと試みた事があったのですが生憎ルールが付いておらず、この時点ではもうロビーで毎日の様にモノポリー(賭けている事は一応隠していましたが)に興じる厚顔無恥な餓鬼どもに新しい遊び道具をわざわざ与えたがるスタッフも講師もいませんでした。
推理遊びだろうという事だけがコンポーネントからかろうじて連想できたこのゲームが【クルー】だと知ったのはその後だいぶ経ってからです。
いずれにせよ私達はもう少し手軽なギャンブルを模索する必要に迫られました。

1998年、夏の或る日、ウィンドウズのフリーゲームに入っていた【ヨット】を見つけた私はこれはアナログで遊べるのではないかと思いつきました。
もともとアナログゲームがPCに入ったわけですし、思いついたというほどの事ではないのですが、当時それくらい私達はゲームを知らなかったのです。
新しいゲームを持っていくと、勝ち筋が見出せるまで誰もがカモられる事を警戒し積極的に遊ぼうとはしませんでしたが、幸運な事に私達は一人残らず賽を振ること自体が好きでした。
ヨットはすぐに受け入れられることとなり、モノポリーを立てる時間も気概もないような時や、時にはモノポリーとモノポリーの間に挟んで遊ぶことで活躍し、長い間スタンダードとして確立していたと記憶しています。
ヨットは手軽でギャンブルにも向いてたのです。粘って粘ってヨット(5カード)を作った時の盛り上がりは周囲のすちゅーでんと達の注目を集め、その後すぐ冷笑に変えました。
収支は12ラウンド後の最終得点の差額×レートという形で決めていたように思います。
しばらくはヨット旋風が吹き荒れましたが、そのうち計算が若干面倒である点と運の要素が少し強すぎる点が問題視されるようになりました。
また人数が多い時はダウンタイムが長過ぎるため、敬遠されていたように思います。

次に私が持ち込んだのは【セブンブリッジ】です。
これもはじめは誰もが難色を示しました。
カードはダイスより技術を要するので慣れるまではカモられるという気持ちがやはり働いたのでしょう。逆に言えば誰もがそれだけ真剣だったのだとも言えると思います。
しかしこのラミーはすぐに受け入れられ、それならばいっそ、と私は学生時代に良く遊んだ【どぼん】や【ブラックレディ】も持ち込んでみました。驚くべき事にブラックレディの評価は最悪でした。
私以外の誰からのフォローもなく一直線にお蔵入りしたと思います。トリックテイキング自体の受けが悪かったのだろうと今では思っています。思えばメンバーの中にナポレオンを知っている人間もいませんでしたから。

一方で【どぼん】は異常なほどの盛り上がりを見せました。
今まで遊んだゲームの中で運と技術のバランスが最も良く取れていたという事、UNOに近いカードプレイがとっつき易かったという事、収支の計算が楽だった事などがその理由だと思われます。
ブラフ要素が絡み始めてからはその人気は絶頂を極めましたが、それだけにルールは厳格化する必要に迫られました。
例えば最初に山札をめくって2が出た時に、2を捨ててゲームをスタートするのを禁じるべきだという意見が出ました。いきなりドロフォーを喰らっては脱落も同然だという主張です。
しかしこれは、2は温存すべしという定石が確立して以降、出したければ出しても良いという風潮になりました。
また、同ランクカードをいっぺんに複数人がプレイした場合の処理方法にも頭を悩まされる事になります。
下に入ったカードが先に出されたと見なすのが基本ルールですが、皆あまりに勢い良く出すもので先に出されたカードが飛ばされてしまい、しかもそのままゲームが進行してしまうという事も度々あったのです。
勝ったプレーヤーは次のディールでは手札3枚スタート、負けたプレーヤーは手札5枚でスタートとし、
大貧民の様に加速度的な格差をつけるというルールもありましたが、あまりに無慈悲だという事ですぐに立ち消えました。
また、カードは将棋や囲碁の様に指を離した瞬間にプレイが成立するものだ、という主張も表れました。つまり指を離す前はカードをさらしていてもまだプレイ前なので手札に戻す事ができる、という事です。
実に驚くべき発想ですが、これを適用するとそれはそれでカードプレイ成立前の「うっかりどぼん」宣言を誘発できたり、別な面白味が生まれる事がわかったのです。しかしこのルールは指を離したかどうかの判定が実に難しく、またプレイスピードが極端に落ちる事などからやはり立ち消えとなりました。
新しいルールを見聞きし、実際に適用した場合にバランスがどう変わるかの予測・判断に関しては、この頃の議論と経験が今でも大きく役立っていると思います。

しばらくして私達はプレイルームとしての拠点を移す決断に迫られました。
学校を追い出されたのです。
結局都内に住むメンバーの自宅を不定期などぼん会会場とする事が自然と決まり、これを境にどぼんは、日が落ちて歌舞伎町や六本木に出かける前のデモンストレーションという立ち位置からその日のメインイベントとなるエンターテインメントに格上げされました。

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